Episode 3 しあわせの秘訣6(最終章)

November 9, 2009

■結婚、そして家族、さらに奄美大島という環境

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とうとうこの日が来た。このエピソードもなかなかの回数を重ねた後、ここに辿り着いたという感じでしょうか。
久しぶりに書いた長文で少し困惑ぎみですが、今回が最終章となります。

賢ちゃん盛り沢山で書いてきたのですが、今回は書き残すことがないくらい彼のことを書いていこうと思います。
では始めましょう...。

前エピソードからの時間が流れる中で、時折電話でお互いのことを話してはお互いの住んでいる場所を往来する年月が続いた。
その期間中には僕と賢ちゃんの環境も変わり、ある時期賢ちゃんは熊本から奄美大島に帰っていったのだった。

その報告の際にも「ちょっと大工になって、美和ちゃんと僕の家を建てるために帰ります」と実に彼らしい言葉だったのを憶えている。
「家を建てる」という言葉にするのも難しい現代社会の中で、彼はあっけらかんと話してきたのだ。

この御時世、大抵の人は「そんなことなかなかできないよ」と思われがちだろうが、彼が言うとなんだか現実味があった。
もちろん僕は「おっ、そうか、良い家できるとえぇね。今度招待してや」と伝えた。

それから数ヶ月後、結婚式の招待状が自宅に届く。
早速届いたと電話で伝えると意外にも「届きましたか!そういえば家できましたよ!西山さんだったら頭当たるかも」と返してきた。

「えっ!できたん!!??」あまりに早すぎる彼の行動に思わず笑った。

電話を切って数週間後、台風と予報されていたのにも関わらず、
何故か直前で台風の速度が上がりこれまた絶妙なタイミングで奥さんと一緒に奄美大島に降り立った。

さすが「幸 賢一&美和ちゃん」。何かもって生まれた才能なのか、この二人が揃うと自然にも打ち勝つパワーがあるのか。
ここまでくると笑えてくるのが正直な気持ちで、少し笑みを浮かべながら到着ロビーを抜けた。

もちろん空港では賢ちゃんがお出迎え。東京の秋を感じる気候とは裏腹に蒸し暑い夏を感じる奄美がそこにあった。
そこからはもう賢ちゃんの名所案内の連続。仕事はどうしたのかと聞くと「用意が大変なんで休んでますよ~」と答える賢ちゃん。

歯止めが利かない案内の連続の途中、さらなる彼のルーツを知りたいと思い、賢ちゃんの実家に案内してもらった。

初めて行く賢ちゃんの実家は、初めてにも関わらずどこか懐かしい印象を受けた。本当に不思議な気持ちだった。
奥から賢ちゃんのお母さんが笑顔で「あ~西山さん!会えた~」と元気にご挨拶。

幸家で僕の噂はかなりしていたようで、お母さんから見ても僕と初めて会った気がしなかったように感じた。
そうこうしていると何だか懐かしい眼差しでこっちを睨む体裁の良いおじさんが登場。

そう、あの賢ちゃんに初めて出会った日、こちらを睨みつけているような印象を受けたあの日の賢ちゃんの姿と鮮明に被り、
そのおじさんこそが賢ちゃんのお父さんだと確信した。

もちろんお父さんも賢ちゃんと同じくして話しだすと止まらない、とても気さくで笑顔が素敵な方だった。
盛り上がっている話を賢ちゃんが切り上げその日はお別れしたのだが、ご両親や兄弟に会うことで賢ちゃんと関わってから今までの出来事などが全て繋がった。

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そして挙式当日。もちろん快晴。
写真を撮って下さいと前日に伝えられていたので用意していると、また電話が...。

「西山さん、すみませんが親族が集まる写真も撮ってもらえますか?」と賢ちゃん。

「え!あの大切な家族写真的なもんか?」と僕。
すると「そうです、西山さんに撮ってもらえると助かります!」

この下りから断る理由もなく快諾し、会場に急いで行った。
会場に着き、落ち着く暇もなく賢ちゃんの神前式は始まり、家族写真の時間も無事終えた。

大切な友人の結婚式ということで、それはもうお酒を摂取しまくろうと意気込んで奄美に降り立ったのだが、
気づけば大切なお仕事の方に意気込んで無我夢中で撮影した。

写真を撮り終え、カメラを置き、一安心で披露宴の指定の席に座るや否や宴会は始まった。
タイトな進行の中、バタバタで撮影していたのもあり、お酒を摂取し気持ちを落ち着かせていると気づけば披露宴も佳境を迎えていた。

ふと我に返り、何かを思い出したかのように気づけば一度置いたカメラを取りに控え室に戻り、カメラを準備をし急いで披露宴会場に戻った。

その頃には結婚式のメインイベントでもある新郎新婦から両親への手紙のシーン。
本当に心の籠った内容の手紙を読み上げ、次に両親から新郎新婦への挨拶。

内容はここに書ききることができないが、心を打ち抜かれたような手紙の内容にただただ涙した。
チラチラこちらを見る賢ちゃんへの照れ隠しなのか、

僕は涙で曇ったファインダー越しに無我夢中で賢ちゃんの素敵な家族の写真を撮影した。
一言一言がとても重く、僕の背中に押し寄せてくるのを感じつつ、シャッターを切っているような切らされているような不思議な感覚。
数分間の挨拶だったと思うのだが、数十分にも感じた。

本当にこんな不思議な体験をしたことはカメラを持ち始めてから無かったと思う。
そしてこんなにも不思議な経験を賢ちゃん達はまた僕にさせてくれたのだ。

式が終わり、僕は賢ちゃんを見ると我慢している涙が溢れる確信があったので意識的に賢ちゃんとの距離を保つようにしていた。
それを感じたのかどうかはわからないが、逆に詰め寄ってくる賢ちゃん。

もちろん彼も僕を見ると涙が溢れてくるのは言うまでなく、お互いよくわからない状態になるというのに何故彼はこっちに来るのだろうとすら感じていた。
近くに寄ってくるなり、お互い言葉がでない様子で、ただただ握手を交わす。

賢ちゃんは涙でよく話せない状態で僕の手を握り頭を下げる。
深々と頭を下げた賢ちゃんから「ありがとうございました」という言葉にも勝る感謝の気持ちを感じ取った。

何度も何度も心に響かせてくる感謝の気持ち。ただただそれだけが僕の頭で埋め尽くされ二人で泣いていた。

人と交わす挨拶や感謝の気持ちや言葉に態度。どこまで相手のことを考えるかは、その時々で違ってはくるが、
少なくとも心から何かを伝えようと意識し、発する言葉というのは相手にどう伝わるかは別として絶対に自分は幸せになれると思う。

賢ちゃんを見ているとそう感じるし、これからもそうあり続けると思う。
僕の場合は偶然なのか必然なのかはわかりませんが、賢ちゃんという人からこれらの大切さを教わりました。

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彼と出会い、彼の文化を知り影響されることで人生は数倍楽しくなり、これからもこれは続いていくと思っています。
皆さんの身近にも僕ら仲間にとっての賢ちゃんのような素敵な存在はおられるのではないでしょうか。

もしそんな方がおられたなら、普段よりも意識してみる挨拶やアクションを試してみてはどうでしょう。
始めはちょっとしたことでも、気づけば自分の人生においてとても豊かな経験へと繋がる第一歩なのかもしれません。

僕にとって幸君もそうですが、スケートボードとの出会いがこの第一歩だったように思います。
賢ちゃん本当にありがとう!そして賢ちゃんと出会うキッカケをくれたスケートボードに感謝と敬意の気持ちを送ります。

最後になりましたが、賢ちゃん、美和ちゃん、末永くお幸せに!そしてなにより家族を沢山増やして下さい。「幸」は多いにこしたことはない。

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自分へ今の気持ちを残したいという一心で書いていたにも関わらず、
こんなに長い文章を読んでいた方がおられたなら心から感謝の気持ちをお送りします。
本当にありがとうございました。


【補足】
賢ちゃんのお母さんから少し不思議な事を聞きました。
スケートボードを始めた頃の賢ちゃんはどうでした?との質問にお母さんは
「良かったね~あのときの経験が活かせて」と不思議な答えが。

何の経験ですか?と聞くと
「賢一は昔近所でボードを始めた頃、わざとよくコケてたんですよ」

ちょっと??となったが、彼の大きすぎるステアーでのコケ方(受け身)は、この頃に完成していたのを知った。
スケートに乗り始めた少年が何よりも魅力的なトリック達を練習する前に
人が一番面倒だったり、怖がるコケ行為を練習をしていた事自体に本当にビックリした。

確かにスケートが上手い人はコケるのが上手い。これはまた何かありますね。

最後に賢ちゃんと2003年に作ったスポンサーミービデオもチェックしてみて下さい。

<これまでの流れ>
■出会いそしてチャレンジ
■チャンスを引き寄せるためには自分から動き、タイミングも自分から合わせる精神
■周りを自然と幸せな気持ちにさせる(挨拶精神)
■なによりひとまず影響されてみるという精神
■彼を幸せにする彼女の存在

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Episode 3 しあわせの秘訣5(幸 賢一編)

November 8, 2009

■彼を幸せにする彼女の存在

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今回は続いているこのシリーズの主役でもある賢ちゃんの人間性に迫っていこうかと思います。
こんなに個性溢れるお友達を持ったんだからと彼と出会って数年経った頃から、僕は自然と彼のルーツを知りたくなるのでした。

そんなときに賢ちゃんの現在の奥さんでもある美和ちゃんと会うことになるのです。
これがまた絶妙なタイミングというか、ここまで来たらもう賢ちゃんが前エピソードにも書いたとおりタイミングを彼の意思で合わてきたのか、
本当に絶妙以外言葉が思いつかないくらいのタイミングで出会ったのを憶えています。

それだけに彼女との初の対面はとても鮮明に僕の頭に擦り込まれているのです。

そう...あれは夏を迎える前の蒸し暑い京都。
僕自身の実家は京都にあり、たまたまアメリカに渡るために準備しようと帰郷していた時でした。

そんな時期に賢ちゃんは合わせてきたのです。

一本の電話が鳴り、「西山さん、京都にいますか?」。
「いるよ~」と答える。「○○日に京都に行きますね!」と賢ちゃんは言う。

「いきなりやな〜。なんでやねん!」と軽く突っ込みつつ答える。
すると「彼女が試験のために京都に行きます!」と賢ちゃん。

「えっ!なんで彼女の試験にお前が来んの?」と。普通はそうなる。

するとさらに「ハハっ。便乗です。」彼特有おき楽な返答。
「なるほど。えぇよ。スケートも廻ろ。」とこんな感じの会話だったと思う。

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数日が経ち、彼は京都に来る本来の目的を持つ彼女より何故か前乗りして京都に降り立った。
色んなところに案内し、数日が経ち京都に詳しい風の知ったかぶり(これは賢ちゃんが土地に慣れてきたことを表す)を
言い出す頃合いに追って彼女が京都に到着した。

そしてのっけからとても強烈に登場する彼女に二人で唖然としたのだった。

僕らが指定の時間に駅まで迎えにいく道中で、賢ちゃんに一本の電話が。
彼女からだった。「会場京都じゃなかったかも~」と言い出す彼女。
「どこにいるの美和ちゃん?」と少し焦った様子で言う賢ちゃん。

「え~滋賀県だよ~」と答えたらしい彼女。

会場を僕に必死で確認する賢ちゃん。
「西山さん、○○大学が会場らしいですが、京都じゃなく滋賀県らしいんですが本当ですか?」

「な、、、なに!?その大学は滋賀県にもキャンパスがあって会場は京都のはずやで。って滋賀県にいるの??」と
天然過ぎる彼女の動きにビックリする。

なぜビックリしたかというと、前日にも会場の場所まで調べて確認済みだったためだ。
それを完全に忘れていたのか、わからないが彼女は滋賀県にいるという。

「それ京都で間違いないって!戻っておいで!」と賢ちゃん。

それから数十分が経ち、あっけらかんと何も無かったような元気なテンションで改札をくぐってきた美和ちゃんは、

とてもじゃないが初めて会う友達の彼女的なテンションではなく、すごく前から知っている女性だというふうにとてもしっくりきていて、
なんだか緊張感も何もない状態で「はじめまして」と挨拶を交わすことになったのだ。

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そこからはもう個性的というかとても自然体のキャラ二人が合流したものだから、とにかく自宅までの車中のテンションは凄かった。
当たり前なのだが、京都という街の中には結構大きいお寺が点在する。

お寺を通るたびに夜のまっ暗闇にあるであろうお寺に向かって写メする美和ちゃん。
それに「美和ちゃん、写るわけないでしょ~」と突っ込む賢ちゃん。

美和ちゃんが「写ったよ!賢ちゃん!」というと、助手席から後部座席に乗り出して「ほんと!!」と見ては
「映ってないよね~」と突っ込む賢ちゃん。

僕の家まで数カ所通るお寺の度に、このパターンは繰り返された。
それが何とも純粋というかおバカというか、まるでドリフの毎回同じ下りでコントをするような姿だった。

ただ、二人が幸せなのは言葉ではなく、態度でもなく、雰囲気で感じ取ることができた。
二人は京都に滞在していた数日間、この雰囲気のあるテンションで京都の街を隅々まで堪能していた。

とにかくどこに行っても賢ちゃんが、前章で僕にを教えてくれた「挨拶」を深々とする。
もちろん「挨拶」をされた人達はみんな笑顔になる。ただそれだけ。それが幸せの一つの形なんだと二人を通してハッキリと感じた。

二人が滞在した数日間、美和ちゃんという女性と話したり二人の姿を見ることで、賢ちゃんのルーツを少し知った気がした。

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この滞在の後、数年が経ちまた一本の電話が鳴る。
「西山さん、京都います?」と賢ちゃん。
「いないわ~って知ってるやん、もう東京にいるし」と僕。

「ハハっ、そうでしたね。僕、京都で美和ちゃんにプロポーズ大作戦をしようと思います!」と賢ちゃん。
「なんで京都なん!」と僕。

「僕ら二人、京都大好きなんで。」とこの言葉を伝えるだけ伝えて賢ちゃんは電話を切った。

それから数日後。賢ちゃんが京都に滞在しているのも正直少し忘れかけていた頃合いにまた電話が鳴る。
僕は新宿のオフィス街にいた。

「西山さん、今どこですか?東京ですか?京都ですか?」と賢ちゃん。
ここでまず彼が滞在しているはずであろう後者はないと伝える。

すると「プロポーズ大作戦成功です!」とこの声を聞いたとたん新宿の雑多な騒音が一切なくなった。
そして「良かったな、おめでとう!」とだけ伝えて電話を切った。

電話を切ったとたん時間が解き放たれたように一気に忙しい街は動きだし、
僕は普通ではいられない嬉しいテンションと満面の笑みで家路に向かった。

■結婚、そして家族、さらに奄美大島という環境へ続く...

<これまでの流れ>
■出会いそしてチャレンジ
■チャンスを引き寄せるためには自分から動き、タイミングも自分から合わせる精神
■周りを自然と幸せな気持ちにさせる(挨拶精神)
■なによりひとまず影響されてみるという精神

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Episode 3 しあわせの秘訣4(幸 賢一編)

November 6, 2009

■なによりひとまず影響されてみるという精神

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※写真は賢ちゃんがかなり影響されたであろう二人

今回のテーマ「影響されてみるという精神」ですが、「影響されるということ」にあまりポジティブな印象を持っている方は少ないのではないでしょうか。
人の真似をしていくような印象に聞こえがちですが全く違っていて、

自分の意思の上に影響されてみるという精神のことをここでは差します。
そして今回は賢ちゃんが主軸なので、彼にとってのこの精神について書いていこうかと思います。

とにかく賢ちゃんは何事にも影響されてみる。ここにも実践主義が入っているのかもしれません。
影響されてみてから、自分に合うか合わないか、そしてさらには掘り下げアレンジできるかどうかということを明確にします。

ただ影響されている間は心から影響される。思いっきり影響される。そしてなりきる。

これがなかなか難しい。何故難しいのかというと憧れているカルチャーや人物像になりきるには
良い一面だけではなく、その反面影響されることにも面倒臭い事柄が多々あることに辿り着いてしまうからです。

その壁を乗り切ってこそ「なりきり」の完成度が上がり、本質的に影響されるということに辿り着くのです。
なので「影響される」ということは、一概に後ろからただ単に追いかけるということではなく、

オリジナルと自分との違いを明確にし、その足りない事柄を埋め合わせていき、初めて完成することができるのではないでしょうか。
ただ完成形に近づいたときには「オリジナル」に近いものになるとは限らず、
各自の経験則をオリジナルにミックスさせ、少し違った完成度の高い「自分らしい」ものができるのだと思います。

それが言い換えれば自分の「スタイル」の確立であり、賢ちゃんの得意技なんだと思います。

とにかく気になったら影響され、実践。そして自分のスタイルに仕上げていく。
彼の現在のスケートボードスタイルはルーツにスタイルの原点があるのではなく、過程にこそスタイルへのヒントが隠されていて、
今後も進化を遂げていくのだと彼の日常から垣間みることができます。

<これまでの流れ>
■出会いそしてチャレンジ
■チャンスを引き寄せるためには自分から動き、タイミングも自分から合わせる精神
■周りを自然と幸せな気持ちにさせる(挨拶精神)

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Episode 3 しあわせの秘訣3(幸 賢一編)

November 5, 2009

■周りを自然と幸せな気持ちにさせる(挨拶精神)

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賢ちゃんと会ったことのある方ならうなずいてしまうのが、今回のお題にもしている彼を連想する際にまず出てくるであろう「挨拶精神」。
とにかく人一倍深々と挨拶する。

挨拶というのは日常的に行っていることなので、皆さん普通にこの行為をされていると思う。
でもよく考えてみると、どれだけの気持ちをもって相手に挨拶をしているかを意識したことがある方はどれだけおられるでしょうか。

相手のことを良く知りたい!とか、とりあえず声を掛け合うための挨拶、
アメリカに住んでいたときなんてすれ違うたびに知らない人と挨拶を交わすという場面まである。
色んな挨拶の形があるけど、今回の賢ちゃんの挨拶からは日本人たる「和」の気持ちを感じとることが不思議とできる。

剣道や柔道、何でもスポーツをする際によくする挨拶に賢ちゃんのソレは似ている。いやそれ以上。
この際にする挨拶というのは「全てに対してお願いします」の精神からくるのだと昔教わった。

言い換えるなら全ての事柄に対して「ありがとう・お願いします」という気持ちをもって行動するということだと解釈している。
そしてさらにいうと賢ちゃんの場合、自分の身を相手に委ねる際にする挨拶に近いと思う。

それは彼と挨拶した際には確実といって良い程、僕より深々と長い間彼は頭を下げている。つまりいつも挨拶終わりに見えるのは彼のつむじということ。
色んな人と挨拶する賢ちゃんを目撃しているけど、彼より時間をかけて一礼をしている人を見かけたケースは殆どゼロに近い。

これは長くすれば良いということではなく、とにかく挨拶が美しく、よくわからないけど品がある。
そしてこれは彼と挨拶を交わしたことのある方なら、皆感じているのではないでしょうか。

気持ちいい挨拶をされて不快な気持ちになる人はいない。と僕は思っている。
同じくして賢ちゃんと挨拶をして不快に感じる人はいない。
もし人類全ての人々が気持ちの良い挨拶が先入観よりも先にできたなら争い事は減るのではないでしょうか。
挨拶をして幸せな気持ちを自然とお互いに感じ合い、相手のことをもっと良く知り、尊敬の念を持つ。

これまたとても単純なことだけど、賢ちゃんはごく自然にこのことを行い周りを幸せにしていくのです。
賢ちゃんの挨拶を意識してからというもの何年もの間、
僕も挨拶をしっかりするように心がけているが、まだまだ自然にそして綺麗お辞儀ができません。

課題は多いです。

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Episode 3 しあわせの秘訣2(幸 賢一編)

November 4, 2009

■チャンスを引き寄せるためには自分から動き、タイミングも自分から合わせる精神(自分の限界を知るということ)


※映像は当時撮影したフッテージの数々をDECIDE CLOTHINGというブランド用に編集したビデオパートです。

幸君と書くと堅苦しくなるので、僕が彼を呼ぶ名前「賢ちゃん」とこれからは書いていこうと思う。
賢ちゃんと親しくなってからは本当にチャレンジの連続だった。

お互い学校が終わっては夜の新宿に現れ、しらみつぶしに階段という階段を撮影した。
今思えば少し変な方向にスケートの楽しみが向いていくんじゃないだろうかと心配になるくらい
毎晩、終電ギリギリまで飛び続けた。

メイク率(スケートボードの成功する確立)がとにかく高かった賢ちゃんにとって
新宿のセキュリティなんて関係なく、本当にデモンストレーションの様に難所を難なくメイクしていくのだった。

ただ、彼がマメなのはどのビルのセキュリティに関しても相当勉強していて、
時間帯、撮影隊の人数、どのタイミングでトライするかなどなど全て彼のイメージのもと練られたルートでまわっていた。

つまりここで注意しなければいけないのが、学校終わりから集合したと書いた冒頭だけれども
おそらく彼は僕たちが集合する前に現場となる場所を下調べし、その日に廻るルートなどの作戦を一人練っていたのだと思う。

本人には確認をとっていないが、彼の几帳面な性格とスケートボードが好きな気持ちを察すると自然とそう解釈してしまう。

話を戻して、とにかく新宿オフィス街を廻るうちに彼の特性にふと気づいた時期があった。
上にも書いた、とにかく几帳面+行動的。人一倍負けず嫌い。

さらに気持ちが加速していき、その結果イメージができたら即行動に移す。鬼の実践主義者。
その特性は新宿を廻るごとにエスカレートしていき、気づけば新宿の殆どのステアーを飛びつくし無くなるくらいにネタが尽きた。

そのときの僕らはまるでキャンパスを無くしてしまった芸術家のようだった。
ただ自己満足で飛んでいたときと違ったのは、手元に残ったのは大量のフッテージとビデオカメラ。

彼はさらなるフィールドを目指すために、都内のステアーの情報をかき集めることにする。
プルルルルル...っと賢ちゃんからの携帯がなると、「どこか見つけたな」的なことが安易に想像でき、

気づけば実践主義に汚染された僕も今のようなスケジュールを立てることもなく、
電話が鳴ったその日に賢ちゃんと合流しスポットに向かうというとても充実した日々を過ごしていたのだった。

とにかく自分から目標を立てて、道をどんどん切り開いていく賢ちゃんのライフスタイルは本当に独特でかなり影響を受けたし、
あまりにもエスカレートしたそのチャレンジが一週間のうち3日以上を費やし始めたときには、まるでコントのようだとも感じていた。

当時の都内のいたる階段に自分の足跡を刻んだ頃にはスケートボードのレベルも数段アップし、
今では想像もつかいないけど、彼が階段を飛ぶと自然とギャラリーが集まってきて彼のスケートボードを見ては驚くということが定番となっていた。
もちろん調子に乗る賢ちゃんは目立ちたがりなので、そのギャラリーに答えるためにさらなる大きなステアーを目指して頑張った。

自分の限界をメイクする度に超えていくのが目に見えるくらい賢ちゃんはすごく成長し、
出会ってから一年後には雑誌などにも取り上げられるようなスケートボーダーへと成長していった。

その時々で自分の限界を知り、自分の力を最大限発揮し、限界を超えていく...とても単純なことだけど、
それの難しさを、身近で凄まじい彼の数々のトライを見ることで教わった。

■周りを自然と幸せな気持ちにさせる(挨拶精神)へ続く...。

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■出会いそしてチャレンジ


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Episode 3 しあわせの秘訣1(幸 賢一編)

November 3, 2009

幸せの形とは色々あると思いますが、今回から数回に渡って綴っていくエピソードもその形の一つだと思います。

今回のエピソードは一つ一つがいつも以上に長い文章となっているので、お時間のある方にオススメです。
では話を始める前に今回の主役でもある賢ちゃん、そして賢ちゃんと知り合って出会うことができた沢山の友達や様々な経験に感謝します。

本当にありがとう!!

では本編を始めて行きましょう...題して「しあわせの秘訣(幸 賢一編)」です。

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■出会いそしてチャレンジ

あまりに内容の濃かった今回の初奄美(初の奄美大島上陸)。
本当に沢山の発見があり、色んなことを肌を通して感じることができました。
今回の奄美大島ですが、友人の「しあわせ」と書いて幸君の挙式に招待され行ってきました。

重複しますが「幸せ」の漢字を一文字で表し、「みゆき」なんてすごく奇妙に感じますが、
出会った当初僕自身もすごく彼のこの奇妙な名字には興味を示し、
はたまた奇妙なことに出会って数時間で彼とはすごく仲良くなったことを昨日のように憶えています。

そう...それはかれこれ10年前の頃合いだったと思います。
新宿の閑散としたオフィス街から、毎晩のようにスケートボードのテールを弾く独特の音が響き渡っていたあの時代。
90年代後半の東京ストリートスケートボーディング。

僕自身上京してきて間もない頃、新宿某所でたまたま出会った若者のスケーターに連れられ、とあるビルに向かったのです。
その都内でも有名だったそのビルにさしかかると通りがかる人を威嚇するかのごとく、
勢いよくステアーと呼ばれる階段を飛んでいるスケートボーダーがそこにいた。

そう連れていってくれた若者の友達らしい彼こそが今回奄美に招待してくれた「幸君」だった。

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彼の初めの印象はとにかく小柄でその反動なのか人一倍目立つ格好をしていて、
はたまたとても走っても飛べないような大きい階段を簡単そうにメイクしているような、
彼の人柄と同じくしてダイナミックな印象だったと記憶しています。

そんな彼との初めましての挨拶も、とにかく今の印象とはかけ離れるくらいこちらを睨みつけ、あまり口数も多くはなかった。

ただこれは、親しくなる10分くらい前の印象なのだが。
というのはスケートボーダー達は初めましての挨拶をした後、一緒にスケートに乗れば早ければ10分でお友達になれる。
これがスケートボードにかなり多くの方がハマる所以の一つだろうと思う。

そんな今回も例外ではなく10分後には、一緒にスケートをした「幸」君とはすぐに仲良くなれた。

そしてその日、当時スチールではなく、ビデオカメラ主体で撮影していた僕を彼はしっかりと認識したのか、
はたまたビデオを撮ってもらうがためなのかはわからないが、
新宿の難所と呼ばれる数カ所の階段でスケートゲームかと思わせるようなトリックを量産してみせてくれた。

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本当に今思えば、あんなに一晩でいとも簡単に数々のトリックを成功してみせた彼の動きは、
彼の名字と同じくして「奇妙」そのものだったと思う。

それを期に幸君とは二日に一度くらいのペースで一緒に滑るようになり、当時の僕の活動や彼が奄美大島出身であることなどなど
沢山お互いの話をし、僕らの上京物語がスタートを迎えるのだった...。

■チャンスを引き寄せるためには自分から動き。
タイミングも自分から合わせる精神(自分の限界を知るということ)へ続く...。

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Episode 2(登 浩一 後編)

October 29, 2009

そして登君の記事の後編。

「笑顔で円満男(登 伝説 後編)」

そしてそれからめまぐるしく登との時間は過ぎていき、その年夏休みを終えて
広島から戻ってきた登は満面の笑みで僕のところに来て『先生見つけたけ〜。ほんまそいつやばいんよ!』といつも以上にサンサンと輝く満面の笑みで僕に話してくれた。

何がヤバいんやろ〜と思い、その日の登の滑りと一緒に滑っていると明らかに夏休み前とは違うくらいレベルが数段にアップしていた。あれもこれもと楽しそうにトリックを出してくる登の滑りは今も鮮明でなにより輝いていた。

アパレルの営業に力を入れていたその年は色んな場所に行っていたのもあり、
登の地元広島にも足を運んだ。太陽のように輝く登と一緒に。

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もちろん地元に戻るとテンション倍増の登は早速色んなショップとスポットに案内してくれた。千田公園というカーブ天国のスポットで登と一緒に行ったみんなと滑っていると登が『先生呼んだけ〜ね〜』って言ってきた。

数分が経った時、プッシュの音が僕の耳に入ってきた。登の時とは違う軽くテールを弾く快音とともに。そのスケーターは人見知りなのか、その子を見るなり『先生!』と叫ぶ登のハイテンションとは裏腹に凄く静かな感じで『こんにちわ。山田です。』と恥ずかしそうに言葉を発した。

そう今は凄くメジャーになっていて、EXPRESSIONでも一緒に動いている山田晋一だった。恥ずかしそうにしている晋一をよそに『先生はほんまやばいんよ!まぁとにかく一緒に滑ろ!』と声を張り上げて笑いながら言う登。

晋一の滑りを見たらすぐに登があれだけテンションを上げている理由も理解できた。トリックは多くなかったとは思うが、あのアプローチの速さとボディバランス、なによりオーリーのキレが人間業とは思えないくらい完成度が高かった。
あんなにもの静かだったのに、デッキに乗った瞬間に豹変し、登が小さく見えるくらいのオーラを放つ晋一は衝撃的だった。

もちろんデッキから下りると謙虚でもの静かな晋一に戻るのだが。なにより印象的だったのが、晋一もまた『登中毒』だったこと。
登と楽しそうに話す晋一を見て、僕は当時立ち上げていたアパレルを一緒に動かしたいと感じた。

そして広島を出てスケートをしたいなどの意思やこれからの事などを千田公園でアツく話した。『じゃあタイミングの合う時にでもちょっと関西遊びにおいで〜な』と話す僕にかぶせて『そうじゃ!それえぇやん!家ならあるけ〜ね』とテンションを上げる登。

数ヶ月後、先生は京都に来た。数ヶ月間、登の家に滞在することを決めて。
登邸に滞在する晋一は毎日何時間滑んの?くらい滑っていたと思う。撮影メインの今の動きとは対象的にコンディションなんて関係ね〜くらい身体がボロボロになるまで。もちろん登邸では連夜寝るまで、ビデオを二人でニヤニヤ見ていたんだと思う。

僕は一緒に数ヶ月過ごしたことで、晋一のあの天才的な滑りは努力の証なんだと確信した。その中で一緒にアパレルをやろう!みたいなことにもなり、さらに僕と登のテンションはめまぐるしく加速した。

数年間このメンバーで一緒に頑張り、晋一は大阪に気づけば僕は東京に移住していた。東京に住みながら関西を行き来する一年くらい経った頃には現グレープバインの幸賢一や秋葉ローカル松村純一、京都の若手でスキルの高さに定評があった田村幸太郎など登や晋一と同じくらいスケート好きの良い仲間が集まっていた。

メンバーが集まってからはビデオを作ったり、アパレルラインを拡大したりと成長する反面、不安の連続だった。でも登はキーマンとしていつもいいタイミングで僕にアドバイスをくれたり、チームメンバーを多いに盛り上げてくれた。もちろんうるさいくらい気持ちいい声と笑顔で。

そして登が大学を卒業し、就職が決まったと同時くらいだったかな。アパレルラインもピークを迎えていて、会社を立ち上げるかみんな各自が好きなことをするかと悩んでた時も登は僕に『西山君の好きにしたら間違いないよ!』とこれまた気持ちいい声でプッシュしてくれた。

そして僕が決めた結論が後者『好きな事をやろ!』だった。当時ブームもあってか相当アパレルも盛り上がっていたので、そのまま行こうかと本当に正直迷っていたのも事実だったが、登のこの声で『好きで集まったメンバーやし好きなことしてなんぼ、好きなことをするために止めるんだったらね』と今まで悩んでたのが嘘みたいにあっさりと結論に至った。

それから会社に入って多忙になった登はスケートとは少しづつ離れていった。大手の営業をしている登に再会したのはチーム解散から二年くらいが経過していたと思う。

普通なら営業職という仕事で神経を使い、以前とは少し雰囲気が変わっててもおかしくないのに、そんな登はそこにはいなかった。
相変わらずムカつくくらい爽やかな笑顔で久しぶりに会ったのを感じさせない気持ちの良い声で『西山君!営業もスケートと変わらんね!』と言ってきた。

『何言ってんの?』と思い聞き直したら
『営業も心!スケートも心!成功へのイメージをしっかり伝えて、アタックすればトリックをメイクするのと同じなんよ!物を買ってくれるのが決まった時はスケートのメイクと同じように快感なんよね〜!』そうあっけらかんと彼は言った。

素晴らしい。僕はこんなに気持ちいい笑顔と発言で周りの人に影響を与える人を今までに数人しか知らない。登の笑顔はいつも太陽みたいで、何より誠実さがあって品格すら感じさせられる。登 浩一とはそんな人だと思う。

来年早々に結婚を決めた登は、これまた僕が神経をすり減らし自分を追い込みギリギリのところで仕事と闘っていた、昨晩いきなり電話をくれた。
『西山君、今何しよるん?』すごいタイミング。しかも広島を出て数年経つ今も彼は全くなまりが抜けていない。

もちろんスケジュールを無理矢理あけて登と再会した。一年ぶりくらいに会った登は僕の期待を裏切らない満面笑みで『ども〜っ!』と元気に挨拶してきた。

結婚の話やこれからのこと、スケートシーンについて荻窪『18番ラーメン』を食べながら話した。
二時間くらい話した後、ちょっとは別れ際が寂しくなりそうなものだけれども登とは全くそう感じない。僕のまわりにはANDY君をはじめ、こんな感じで別れ際を惜しむ仲間というのはあまりいない。なぜなら、お互い健康だったらいつでも会えるから...。

お互いの時間軸の中での運命的なタイミングで。
あっけらかんと電話をしてきて、あっけらかんと明日会うかのように別れる。こんなに気持ちいい素敵な仲間に出会えた事に感謝だし、スケートボードの奥深さを再確認した。

週末返上でバタバタしているけど、この登という人のあっけらかんと明るい笑顔に触れることで何にもかもが上手くいく!と直感的に感じた。今日も、明日も明後日も...ずっと頑張れる気がします。本当に登ありがとう!

P.S
登結婚おめでとう!昨日も話したけど、絶妙なタイミングでいつも動く登は最高だし、これからも接点があれば一緒に何でもしよ!自分に責任感を持って、徹底すれば何でもできる!ずっと応援してます。とりあえず来年広島で!!お幸せに!


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Episode 2(登 浩一 前編)

October 29, 2009

ANDY君に続き、掲載したのが笑顔で沢山の人を幸せにし続ける僕の親友 登君。
彼の人生を少し綴ったのが2007年11月16日。そのときの記事を掲載します。

題して
「笑顔で円満男(登 伝説 前編)」

071116.jpg

以前ANDY君のことを書いた時に『なんて素晴らしいタイミングでこの人は!』みたいなことを書いた覚えがある。そんな出来事が昨日も起こった...。
その人の名を登 浩一君という。

彼と会ったのは、もうかれこれ10年前。当時スケートブームからかキックアウトの連続だった京都のスケートシーンの中で僕らはスポットをその時々で移動することでかいくぐっていた。SUNFLOWERというチームが発足した公園も同じくキックアウトされるようになり、僕らが移動して滑るということの重要なキッカケになったと思う。

90年代後半スケートが盛り上がるのと同じくして、無くなっていくスポットも多くなっていた。もちろんどこかに集まって滑れないことから、大所帯でスケートをする回数も少なくなり、ビデオシューティングにストリートに出る時以外は、シューティングの為に新しいトリックを各自が修行するというスタンスになっていたかと思う。

そんな折に僕もトリック量産のために『闇連』(当時陰で練習することをこう言っていた)をしようと、一人なら目立たないこともあり、チームが発足しスケート禁止になっていた公園に足を運んだ。
禁止になって行かなくなってから半年程度たっていたので、あんなに盛り上がっていたのが嘘のように公園は静まり返っていたのが印象的だった。

なんだか一人で寂しい気持ちが一気に襲ってきたのも、必要以上に広い敷地に一人という滑稽なロケーションがおおいにあったと思う。

寂しい気持ちを押さえつつ、独り色んなトリックのバリエーションを一時間くらい練習していると遠くの方からスケート独特のウィールの音がしてきた。

普通の人ならあまり聞き取れないであろう、その音だけれどもスケーターはみんな仲間を見つけるかのようにこの音に敏感に反応する。僕ももちろん同じく。

気づけばその音は激しさを増し僕の視界に入ってくるくらいになっていた。
当時は恥ずかしさもあり、初対面ではお互い様子を見ながらスケートをするという半分無視に近い状態で妙な距離を保ちスケートをしていたので、同じくしてその勢い良くプッシュしてきたスケーターとも半分無視に近い状態で一緒?にスケートをしていた。『ここって滑れるようになってるん?』とこの無くなったであろうスポットの情報を聞きたくてしかたない状態にも関わらず。

数分こんな変な空気の中でスケートしていると、その子は僕の方に近づいてきて
緊張感もへったくりもないくらいの満面の笑みで『いつもどこで滑っとるんですか?』と変な方言で話してきた。

『いや、撮影に行く時は適当にみんなに連れられて動いてるよ』みたいな言葉を返すと、
『え!撮影しとるん!?すごいじゃん!』と返すその子。
こんな感じの初対面の王道的な会話を数分していると
その子につられてか非常その場が明るくなって会話がすぐに弾んだのを今でもすごく覚えている。

いつも年上の中で緊張感が張りつめているといえば言い過ぎかもしれないが、スケートにいそしんでいたので、こういった何気ない会話をざっくばらんにできたのが嬉しかっし、それまで黙って黙々と練習していたのが嘘のように彼の持ち前の明るい笑顔と一緒に『スケート禁止』をすっかり忘れ楽しくトリックを練習をしていた。

そのどんな状況においても真剣で、持ち前のモチベーションの高さと笑顔で乗り切る素敵なスケーターこそが『登 浩一』君だ。

登君と一緒に数時間練習する中で、彼はそのスポットから近い大学に通っていることや広島出身ということが判明した。だから言葉のイントネーションが変わってるんや〜とか、当時まだ今のように全国の情報があまり入ってきていなかったのもありすごく新鮮だった。
そしてある程度滑った後、登君と再会を約束しつつお別れした。

再会を約束したにも関わらず、当時次のタイトルに向けシューティングの毎日だったので、僕らが参加したラストタイトル『970904』を発売するまでは、ほとんどその公園に行くことは無かった。

数ヶ月、半年くらい経ったくらいにフラっとその公園に行くと、数ヶ月前までスケーターが一切いなかったその公園にスケーターが数十人も集まっていた。
僕も軽く滑ろうと思い、公園に入っていくとその数十人の真ん中に半年くらい前に一緒に滑った登君が笑顔で滑っていた。

すごくみんなから慕われて滑っているのが傍目に見て伝わってくるくらい、その周りの空気は今までスケートをしていた雰囲気のものとは全然違っていた。

そう、登君のあの笑顔で半年前に僕が感じたのと同じように心を通わせ『登中毒』になったスケーターが増殖していて、その結果半年間で数十人にまで膨れ上がったのだ。僕もその日から『登中毒』に侵されるようになり、毎日『禁止』だったそのスポットにまた通うようになった。

ここで気になるのが、あれだけ禁止にされていたスポットが何故復活したかということだ。直接は聞いていないが、多くの人が行き来する公園で人が登君の視界(登eye)に入ってくるとうるさいくらいの声を張り上げて『こんちわっ!!』とか犬を散歩する人があれば近づいていき、犬と笑顔で戯れたり気持ち悪いくらいアツいコミュニケーションを計る彼のスケートスタイル?を見ていればスケーターの印象も上がり、滑れるようになったんだとすぐに理解できた。

通行人の人も登の事をすごく慕っていて、本当に公園全体が登オーラに包まれていたといっても過言では無いくらい。

それから数ヶ月一緒に滑ったり、セクション作ったり、お酒呑んだり
バイトまで一緒にしたりとSUNFLOWERの元メンバーと滑ったり遊んだりするよりも登と一緒にスケートを楽しんだ。

そして当時アパレルラインに挑戦していた僕を凄く応援もしてくれた。
数ヶ月経った時に気づけば『一緒にやろ〜や〜』的な感じで僕がやっていた
『DECIDE CLOTHING』にも参加してくれた。


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Episode 1(ANDY後編)

October 29, 2009

続いてANDY君のEpisode後編になります。

題して
「リアルで泣ける。それはみんなの胸の中にも...(SUNFLOWER後編)」

SUNFLOWER03.jpg  SUNFLOWER04.jpg

そして数ヶ月経ったそんなある日、A面がはじまる前座的な時間帯に滑っていた僕らに学ラン姿のあやしいやつが物凄いスピードで近づいてきた。
そう彼こそHOMORO君だった。
当時友達があきらかにいなそうだったHOMORO君(風貌が怪しかっただけに)は、他に滑る人がいないからか、
A面の上手い人達にパシラれているからかはよくわからないが、僕らを発見するなり水を得た魚のように一緒に滑ってくれた、というか連れ回してくれた。
学校にはほとんど行っていなかったのに、スケート訓練場には皆勤賞か!くらい同じ時間帯に僕らは毎日集合した。もちろんHOMORO君も。

そしてHOMORO君と遊びながら、スケートはもちろん色んなしょうもない事まで色々
教えてもらった。もちろんここには書けない内容の。(笑)
当時思春期の僕らは、もちろんスケートと同じくらいこの奇妙なHOMORO君に色んな意味でハマっていくのだった。
そんな日々を送っていたこの時期あたりに、3人のうちの仲間の一人がANDY君に声をかけられたと言う。
僕らはその奇跡的な事実にビックリして
『何話してん!』とすぐさま聞いた。
『え!あ、、、ジュース飲みたいから金かしてや!お前らいっつもいるし
後でこっち来て一緒にジュースでも飲もや!』って言われたと言ってた。

通いかよってたので顔見知りにはなってたであろうが、今で考えればほぼストーカーみたいに憧れのまなざしを一方的に
送ってたANDY君が僕らに声をかけてくれたのだ。
この時の奇跡がスケートをやってきてた中でベスト3に入るくらい嬉しい出来事だったと今でも思う。
むろんANDY君はそんなつもりで声をかけたのでは無いのは、その振る舞いを見ればすぐに理解できる。
でもそれでも僕らは最高に嬉しかったし、そんな事実はどうでも良かった。

そんな嬉しい出来事があったからもう大変。HOMORO君は当時すでに上手かったので違うとは思うが、
その仲間達(パシリ3名)はとにかくシャカリキという言葉がまさにそうくらいスケートの練習に明け暮れた。
多分その当時みんなが心の内に同じ事を思ってたと思う。
『毎日通って、上手くなればもっと話せる。』ほんまそれだけだった。

それを続けてると時間の流れも早いし、もちろんスケートのスキルもオーリー10センチくらいから
20センチくらいは飛べるようになってきてた。
その頃くらいに(おそらく)一方的に仲良くなってきてると勘違いしていたHOMORO君が当時まだ珍しかったビデオカメラで
上手い人達(ANDY君達)を盗撮(遠目から)から追い撮り(近くを一緒にプッシュして撮る方法)で撮影しはじめていたと思う。

そんな毎日撮ってたまったテープをまとめる頃には、仲間とはほど遠いパシリ状態の僕らは
みんなと打ち解けたりする『ちょっとした仲間』に昇格していた。
かのスケートに友達が初めて僕を誘ってきた、あの蒸し暑い京都の夏とほぼ同じ時期くらいに
メンツは違えど、これまたアツいメンツの会話の中にこれは起こった。

上手い人の中の一人が(確かANDY君だったかな)、
『こんなビデオ撮ったり作ってるんやし、チームでも作ってもっと楽しもや』とつぶやいた。
それもそうやな〜って感じで、ぎこちない関係ではあった僕らも参加し、チーム名を色々提案しあった。
HOMORO君がサイトのヒストリーにも書いてるような感じの卑猥な言葉がいっぱいのアイデア会議。
笑いながら時間が過ぎ、夕焼けに空が真っ赤にそまった頃、ひぐらしの鳴く声と共にKAMI君が
『京都夏ごっつアツいし、夏のアツい思い出作りって事でひまわりとかええんちゃう?』そう口にした。

僕は覚えてなかったのだが、その時これまたカリスマ津田君が『英語にしよ〜や』的な提案をし、
『SUNFLOWER』となったらしい。その経緯は少し曖昧だが、『とにかくアツい夏の日』『夕焼けの空』
そして『ひぐらしの鳴き声』が鮮明に僕の頭に記憶として擦り込まれている。

それくらいそのぎこちないかもしれないけど、仲間達と話せている状況が僕には幸せだったんだと思う。
それからというものさらに狂ったくらいスケートに夢中になった。学校以外の時間は板の上で生活してたくらい。
当時みんなといれるという事や同じ目標に向かって頑張れるという事にすさまじい誇りを感じ、少なくとも僕は
みんなに恥じないようにスケートに取り組んだ。
これが今でも僕の中に残り続けている責任感であったり、リスペクト精神に繋がっているんだと思う。

それからの僕らは二年に一本というペースで『アツい夏の思い出』をビデオに落とし込むという作業に
ひたむきに頑張った。

それからすごい勢いで夢のように楽しい時間は過ぎていき、気づけば僕は制服から私服に変わる大学生になっていた。
そのあたりだろうか...カリスマ達はみんな方々に目標を持ち始め、オリジナルSUNFLOWERは解散という道に至ったのだった。
僕が関わった数年のSUNFLOWERの中身についてはサイトを見てもらいたい。色んな事があったけど、
これはあくまで僕が辿った軌跡だし、みんなは個々に違うと思う。だからあえてそこまで触れる必要がないと思う。
ただそこに至までの『軌跡』と『奇跡』については僕自身が文章に残したいと思ったので書いてみました。

そして今でも僕はスケートボードに色んな事で関わり続けているし、
本気でトリックなどに挑戦できない理由も存在している。
だけど今も尚、あの頃と変わらず毎日スケートに乗っては街中をブラブラする日々を送っている。
乗るたびにあの時と同じ快感を感じれるし、これでまた人と繋がれる。

そう僕はスケートに乗る事で自分自身を感じ、
自分の知らない世界に出るとコミュニケーションの一つとなり、
そして何より毎日『幸せ』を感じれるのだ。
人からみれば木でできた板に4つのタイヤをつけた金具で構成されている物体にすぎないかもしれない。
だけどそんなスケートから僕は全てを感じれるし、これからも感じていくんだと思う。

このSUNFLOWERというスケートチームに始まり、現在関わっているExpressionに至るまで
色んな出会いがあり、仲間が増え、毎年、毎日、毎分、毎秒、自分越えをして充実している。
そんな存在が僕にとっての『スケートボード』。
全然人から見れば美しい青春じゃないと思うし『超』がつくくらい『アンダーグラウンド』な事なのかもしれない。
でも僕にとっては今も尚、光り輝いている『あのリアルで泣けるくらいアツい日々』なのです。

多分これを最後まで読んでくれた人の中にはこう感じてくれる人が少なくともいるだろう。
みんなが分野は違えど、同じような経験をし、人生を送っているよねってね。
物事は結果じゃなくてどこまで自分が本気を貫き通せるかの『意思と継続』だという事を。
それが『深みのある哀愁漂うホンマモンになる』という事を僕は信じ続けたい。

最後に本当に今まで出会えた全ての人に感謝したい。これは嘘なしに僕がここに存在しているのは
みんなのおかげだと思っているし、これからもそうだと思う。いつまで生きれるかなんてわからないけど、
あのアツい夏を感じながらこれから毎日生きていこうと思います。

そして文章が下手でごめんなさい。ここまで読んでくれた人に感謝の気持ちでいっぱいです。

2007.05.29
SHAMA

追伸
SUNFLOWERのサイトにはリアルに作られたタイトル全てがビデオのコーナーに入っています。
スケートビデオが好きな人ならスケートを見て楽しむのはもちろんだと思います。
ただ僕らというか僕のオススメはやっぱりスラムとエンディングです。
ここに現在の映画やスケートビデオに置き去りにされているアツいもんが
少なくとも表現されていて残されていると思います。
ただ純粋に営利目的で作ってたのではないので、それはそうなのですが
とにかく素敵な内容だと思います。まぁ、僕がその中の一人だったからかもしれませんが。(笑)

SUNFLOWER

KAMI

ANDY君BLOG


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Episode 1(ANDY前編)

October 29, 2009

Episode1は地元の先輩でもあるANDY君について2007年5月29日にアップしたものを公開します。

題して
「リアルで泣ける。それはみんなの胸の中にも...(SUNFLOWER前編)」

SUNFLOWER01.jpg  SUNFLOWER02.jpg

これを読んでくれている人にも大事なものっていっぱいあるでしょう。
今回は僕のその大切で泣けるリアルな日々にフォーカスをしぼります。

あまり文才がないので整理して書けるかが自信がないのですが挑戦します。そして残します。
今回こんな風に書くキッカケをくれた出来事が昨日起こりました。

それは『SUNFLOWER』という僕が昔に所属していたスケートボードチームのWEBサイトが立ち上がった事にはじまります。(下記のアドレスを参照)

そのサイトでは何を思ったか、当時僕が16歳くらいの頃から取り組み制作し続けたであろうスケビのタイトルを全て公開しはじめたのです。チームを仕切るHOMORO君はやっぱり豪快です。

当時のビデオを見ているうちにうっすらしていた記憶が一瞬で鮮明に蘇ってきて、1カット1カットその現場でどんなやりとりが行われていたという詳細までもが、しっかりと思い出せるくらい晴れ渡ったのです。

詳しくいけば撮影の為に行ったスポットから帰る道中に、どんなやりとりが行われていたなどの事まで...。こんなキッカケを与えてくれたHOMORO君と形にしてくれたOKAMOに心から感謝したいし、こんなタイミングを逃したくないという事で当時の僕を思い出せる限りですが辿って行こうと思います。

そして舞台は15年前の京都のアツい夏の夜にさかのぼります...。
そう思春期もまっさかりの当時15歳の僕の自宅に、ヤンキー風の友達がこれまた何を思ったか非常識すぎるくらい夜遅くに僕の部屋に声をかけてくる。『にっしんいるけ!』って感じだった。そらいるわ!って思いながら窓から顔をだすと、これまた恐ろしい人数の友達が家の前にたってた。

いてるだけで近所迷惑極まりない、その友達数人を目の前にして、こんなところで騒がれてもな〜って感じでみんなをひきつれ少し離れたところに行ったのを今でも鮮明に覚えてる。

ちょっと離れたところで『な、なんや?』って聞いたら、ヤンキー風の友達が『にっしんスケボーって知ってるやろ?』と言ってきた。

当時僕の兄がスケボーをしていたことがあり、軽くは知ってたので
『知ってんで。ちょっとくらいでける。(当時チクタクという基礎トリックがメイントリックだと勘違いしていた僕はこう答えた)』

その瞬間で一同がざわめいた。そしてその中の一人が
『お、、、教えてくれへん?ってか一緒にやってみようや』とつぶやいた。

別に断る理由もなかったし、当時フラフラしていた僕だったので
『え、、ええよ。』と軽く答えたのが始まりだった。

後から聞くと当時地元の田舎ヤンキー連中でそのスケボーが流行ってて
ヤンキーステータスじゃないけど、ちょっと風変わりなファッションが悪そうというイメージという事でみんなが食いついてたそうだ。

ダンスブームが当時流行だったにも関わらず、京都のど田舎のヤンキー達はスケボーに夢中だったのだ。

そしてもちろんスケートの趣旨を間違ってとらえてしまってるヤンキーはスケートを口実に家を抜け出しては、
夜中の公園でダラダラとタバコを吸ったり、色んな興味あるもんに手をだしたりしながらスケートをするのだった。
もちろん板に立ってる人は少なく、ヤンキー座りをしながら舎弟なる年下に背中を押させて遊んでたりしていた。

始め2、30人で始めたこのスケートだったが、もちろんすぐ飽きてしまうものがほとんどで、
結局残ったのが徹底して取り組みたい+鬼の負けず嫌いの僕を含めて3人になってた。

そして僕を含めた3人は家の近所だけでは満足できなくなり、スケートが上手い人がおる!って噂の場所に
チャリンコでいつものように夜練習した後に行ってみる事にした。

もちろんそんな時間に上手い人がいるわけでもなく、
当時は上手い人達がやってる場所で、形は同じように見えるが、方法論全てが違うであろうスケートを感じれる事に幸せを感じれた。

そしてそこに警戒心からか上手い人をなるだけ避けるように夜に通う日々を送っていた。
(当時B面と僕らはその時間のそのスポットの事を名付けていて、つまり上手い人達が練習している昼間はA面ということだ)

そんな僕らだがそれなりに通った分だけスキルは上がるし、気づけばチクタクや軽く飛ぶなる事もできるようになってきてた。(おそらく10センチくらい)
そしてある日、調子にのった僕らは思い切ってA面に(つまり昼間)トライしてみる事にした。

行ってそうそうたるメンツを見た瞬間、腰を抜かしそうになりながら近くのベンチに三人でひたすら座ってたのを今でも鮮明に覚えてる。
負けず嫌いが故に完全にノックアウトされたのだ。

その華麗にスケートを堪能するメンツの中には現在OWNのツダッチや、
ペインターとして活躍しているKAMIさん、噂だけはすこぶる耳にしていたANDY君にDJ BABAO君などなど。

とくにANDY君は恐ろしく上手かった以上に怖い雰囲気をかもしだしいたのを今でも覚えている。とにかく目を合わせれないくらい。
空いた口が塞がらなくなってた僕らはひたすらトリックを見て研究しまくった。

そしてA面からB面に変わるのを見計らって練習に明け暮るのが日課となった。
今では当たり前かもしれないけど、それこそ夜中までひたすら練習した。

帰り道には負けん気だけは強かった僕らなりにA面の人達のトリックや時には反骨精神からか愚痴まで言いながら応戦する数ヶ月を送っていった。

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Episode

October 29, 2009

ブログのカテゴリー分けができるようになったので、
OnTheRoadのときから少し書いていた僕の周りの友人Episodeを、こちらでも紹介していきます。
今後も不定期ですが、長文にもチャレンジしていきますのでチェックしてみて下さい。

ではバックナンバーのようですが、京都で地元が一緒の最高に尊敬しているスケートボーダーANDY君と、

学生期から僕に影響を与え続けている太陽のような男、登君のEpisodeをまとめてアップします。

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